大谷祖廟,高台寺,二条城 

   2019年5月14日  
  写真:岩田 穆, 榊原さん 

  浄土真宗大谷祖廟
浄土真宗門徒が、宗祖として仰ぐ親鸞聖人の墓所が大谷祖廟です。今回は妹夫婦と共に父岩田覚太郎、叔父岩田喜久也、叔母岩田富子のお骨を納めました。


大谷祖廟入口




御廟 この地下にお骨が納められる











  高台寺
大谷祖廟から丸山公園に出るとすぐに「ねねの道」があり、高台寺につながる。
 豊臣秀吉の正室である北政所(高台院)ねねが秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾(仏門に入る)後の院号である高台院にちなむ。高台寺の開山は慶長11年(1606年)で、当初は曹洞宗の寺院であった。寛永元年7月(1624年)、高台寺は臨済宗建仁寺派の大本山である建仁寺の三江紹益を中興開山に招聘。この時、高台寺は曹洞宗から臨済宗に改宗している。


ねねの道


ねねの道


方丈から見た観月台と開山堂


方丈から見た観月台と開山堂


方丈


開山堂から見た観月台


臥龍廊と御霊屋


傘亭


傘亭


時雨亭



  二条城
 
二条城は1603年(慶長8年)、徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものです。将軍不在時の二条城は、江戸から派遣された武士、二条在番によって守られていました。
3代将軍家光の時代、後水尾天皇行幸のために城内は大規模な改修が行われ、二の丸御殿にも狩野探幽の障壁画などが数多く加えられました。壮麗な城に、天皇を迎えることで、江戸幕府の支配が安定したことを世に知らしめたものです。
1867年(慶応3年)には15代将軍慶喜が二の丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明したことは有名です。
二条城は1994年(平成6年)に世界遺産に登録され、徳川家の栄枯盛衰と日本の歴史を見てきた貴重な歴史遺産と言えます。


大手門


二条城配置図


唐門と二の丸御殿 ベストショット


唐門


唐門


唐門


唐門


国宝・二の丸御殿


二の丸御殿入り口の彫刻

二の丸御殿の説明  内部は撮影禁止


二の丸庭園


二の丸庭園


二の丸庭園


本丸御殿は修復工事中 再公開は2024年度以降

  本丸御殿の説明


天守閣跡と堀