イスラエル・ヨルダンの旅  
 旅人・写真:岩田あつし   アクセスカウンター
2020年1月21日~1月28日,クラツー,TD: 垣浦
 


 イスラエル・ヨルダンの旅の日程 
[第1日] 成田からモスクワ経由テルアビブへ
[第2日] イスラエル ナザレ、ガリラヤ湖観光
 [受胎告知教会] [聖ヨセフ教会]
 [タブハ教会] [ペテロ召命教会]
[第3日] ヨルダン観光
 [死海] [ネボ山] [聖ジョージ教会]
 [ウム・アル=ラサス遺跡] [夜のペトラ]
[第4日] ペトラ観光
 [エルハズネ] [ペトラの街]
[第5日] ベツレヘム観光
 [海抜零点] [生誕教会]
[第6日] エルサレム観光
 [オリーブ山] [神殿の丘]
 [ビアドロローサ] [シオンの丘]
[第7日] アブダビからモスクワ経由
[第8日] 成田着

イスラエル・ヨルダン観光地図 


   第4日: ペトラ   
 

ペトラは、死海とアカバ湾の間にある渓谷で、死海から約80km南に位置している。1985年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
ペトラは険しい岩山の続く自然の要害であり、外部からの侵入が難しい地の利を持っていた。 また、中東での人や物の行き交う要衝の地でもあった。紀元前1世紀ごろから、先住のエドム人を南へ追いやったナバテア人が居住しはじめた、ナバテア王国の首都として、スパイス交易(香料・絹・乳香)の拠点として栄えた。紀元前64年ごろ、ナバテア人はローマの将軍ポンペイウスによりその支配下におかれる。しかし、ナバテアの自治は税金を払うことで獲得した。106年には、ローマ皇帝トラヤヌスによりペトラとナバテア人はローマのアラビア属州として完全に組込まれる。その遺跡として巨大な砂岩の山を掘って建設した種々の建物が残されている。エジプトなどの影響を受けた古い神殿や墓など、ローマ式の劇場や神殿であり、大きな都市であったことが分かる。

ペトラ地図
 

シークからエルハズネ


ペトラ遺跡の入口から、なだらかな下り坂の道を進むと左右に古代の遺跡が見え始める。1km程で岩の割れ目の道(シーク)の入口に到着する。このシークは高さ最大60m、幅最小5m程度で、左右にナバティア人の得意な水路が続く。シークを1.5km程進むと、岩の隙間からエルハズネが見えてくる。一番ドキドキするところ。広い広場にでるとエルハズネの全体は目に飛びこんでくる。

 動画:シークとエルハズネ   TBS世界遺産から 

浸食でできた険しい岩の裂け目に、隠されたペトラの入口、高さ80mに狭い通路:シークと、 街の入口に岩を掘り下げ建造した高さ40mの美しいエルハズネがある。 その奥には岩を掘り下げて作った円形ローマ劇場や大きな墓などがある。



観光客用の馬車


神殿遺跡 上部の三角の塔は古代エジプトのオベリスクの影響


シークと水路


水路と神殿のレリーフ



水路


シークに水が流れ込むのを防ぐダム

幅の狭いシーク


人物の足、動物のレリーフがわずかに残る


シークの隙間から見えるエルハズネ

シークの隙間から見えるエルハズネ(宝物庫)


  エルハズネの正面 (NHK放送から)


エルハズネの正面で


エルハズネの左側 険しい岩山


エルハズネ上部 中央前面には女神イシス神、左右の前面には女性部族アマゾネス、 左奥には勝利の女神ニケ、右奥には幸運と繁栄の女神テュケー。  イシス神の前屋根の上には豊穣の角コルヌコピアがある。 


 


エルハズネ上部 中央前面にはエジプトの女神イシス神、左右の前面には女性部族アマゾネス、 左奥には勝利のギリシャ神話の女神ニケ、 2階の床の側面には小さな30個の花(1月=30日)、右奥には幸運と繁栄の女神テュケー。  イシス神の前屋根の上には豊穣の角コルヌコピアがある。 屋根の下には7つのグラス(7日=1週間)。その上の三角の屋根の下にはメデューサの首がある。

エルハズネ下部 12本のコリント様式の柱(12の月を表す)があり、 左のレリーフにはギリシャ神話の英雄ポルックス(ゼウスの息子)、 右にはギリシャ神話の英雄カストール。柱の上には内部には入れない。


中央最上部には納骨壺(宝を隠した)、三角屋根の角に上にのワシ (死者の魂を運ぶ)が掘られている。


屋根や柱には美しい装飾が残されている。


  エルハズネの上部 (NHK放送から)


  エルハズネの内部 (NHK放送から)

ペトラの古い街


エルハズネから右に道をとると、岩を削った神殿のような建造物が続く。 残念ながら風雨が強くなり、土石流の危険もあるため、先を急ぐこととなった。
水滴で写真も撮り難い状況になった。列柱通りを進み、凱旋門をくぐり、 レストラン「バシン」に到着。濡れた衣類を乾かしながら、昼食を摂り、 やれやれ。
そこにシークが閉鎖との連絡が届き、徒歩での帰路をあきらめ、 施設の従業員用のトラックで救出される。 山の上の道を行き、普通の観光客ではみられない景色を見ることができた。


ファザード通り


岩を削った部屋の入口


入口に入ると中に大きな部屋があり、ラクダの休息に使うためか、匂いがする。


入口の砂岩の縞模様が美しい


岸壁に掘られた墓(一番左が67番の墓)、正面や測面の装飾がファザードと呼ばれる 


お土産のサンドボトル屋でラクダを書いている 左は英語のガイド


お土産のサンドボトル (10cm 名前入り 25US$)


裏側 サンドは固定されているのか疑問 


住居跡のよう


緩やか下り道 正面に円形劇場が見える


円形劇場 岩を掘って作っている


  円形劇場(NHK放送から)


丘の上に王家の墓など 下は土産の店


  王家の墓など(NHK放送から) <


  王家の墓など(NHK放送から) <


エルハズネの方向を見る


  大神殿(NHK放送から)


  大神殿(NHK放送から)

 動画:大きなプールと大神殿  TBS世界遺産から 

ペトラの中心部には、周辺の山から水を集めた豊かな水を利用し、 噴水や大きなプールがあった。また、岩を積んで建造された大規模な大神殿があり、 その奥には会議場があった。国の王と部族長などの合議による政策が進められたたことが分かる。



カスル・アル・ビント ペトラで最も重要な神殿、 BC30年建造、かなり風化している。

 動画:ペトラの交易施設と豪華な邸宅  TBS世界遺産から 

ナバティア王国と都ペトラは、交易の要所という地の利をいか活かした交通税によって繁栄した。 ナバティア王国は小国であったが、山に守られ容易に攻められない険しい山中に周辺の山から水を 集める水利技術を駆使した都を建設し、隣国大国ローマ、エジプトなどに対する巧みな外交、 交渉により国を守って来た。
通行人に対する宿泊環境などのサービスにも気を使い、 自らも暮らしやすい街を作っていたことが分かる。


ペトラ観光は、雨のためシークが閉鎖されたので、午後の予定であったエドディル(山の上の神殿) や遺跡群の散策は諦めて、昼食後トラックでホテルに帰り、お休み。予定の半分の行程5kmとなった。


[次に続く]