メキシコ遺跡の旅 
 旅人/写真:岩田穆(あつし) 
2014年2月3日〜12日,クラブツーリズム
TD:飯田直之, Guide:古川せりあ


[古代文明年表]
日程 目次 (SL=Slide多数の写真)
第2日: [メキシコ シティ] [SL] [テオティワカン遺跡] [SL] [国立人類学博物館] [SL]
第3日: [国立自治大学] [SL] [クエルナバカ] [SL] [タスコ] [SL]
第4日: [タバスコ州考古学博物館] [SL] [パレンケ遺跡] [SL]
第5日: [カラクムル遺跡] [SL]
第6日: [カンペチェ] [SL] [カバー遺跡] [SL] [ウシュマル遺跡] [SL]
第7日: [マヤの民家] [SL] [チチェンイッア遺跡] [SL] [セノーテ] [SL]
第8日: [カンクン] [SL]

ツアーのメンバー
 

 第2日(2/4) 
 
メキシコシティ   [Slide] [top]


独立記念塔とソカル広場の先住民の像


独立記念塔とソカル広場の先住民の像


大聖堂 アステカ時代の神殿の上にスペイン人によっって建てられた教会





グアダベール教会(別名マントの教会) マントをまとった褐色の肌の聖母マリアが現れた




テオティワカン遺跡   [Slide]  [top]

テオティワカンはアステカ以前の「神々の都」の意味の宗教都市。王,貴族,神官,農民,商人,工人などがいた。
紀元前後から発展し、最盛期のAD450年には20万人の世界有数の都市。650年頃、謎の滅亡。

ジャガーの神殿、人間と一体化したジャガーの壁画

地下神殿のオームの壁画

月のピラミッド

月のピラミッドに登る

月のピラミッドの上から見た月の広場と死者の大通り


死者の大通りと太陽のピラミッド

月のピラミッド

太陽のピラミッド 高さは71.17m、周辺長は893.91mで、高さx4π=周辺長となっている。
エジプトの大ピラミッドと比例関係にあり、周辺長はほぼ同じ、高さは約半分。


人類学博物館   [Slide]  [top]

博物館入口の壁画

アステカの暦


パレンケ遺跡の碑文の神殿に埋葬されていたヒスイの面をつけたパカル王




コズ・ポープ(カバー遺跡)のチャーク神(象の鼻)



神聖なるヘビ

チャックモール(生贄の心臓を腹の皿に置く)


 第3日(2/5) 

国立自治大学     [Slide]  [top]




クエルナバカ    [Slide]  [top]

クエルナバカはメキシコシティの南75kmにあり常春の街と呼ばれる。1529年フランシスコ派の修道院として創建されアメリカ大陸最古、1821年にカテドラルとなった。豊臣秀吉によって処刑された日本人カトリック教徒と宣教師の壁画「二十六聖人殉教図」がある。


カテドラル 




二十六聖人殉教図

テルセル・オルデンの聖堂(カテドラルの右)

タスコ    [Slide]  [top]

山間のコロニアルシティ・タスコは、18世紀に銀鉱脈が発見され、その富で、町が美しく装飾された。

山の斜面のできた美しい街

町の中心にあるサンタプリスカ教会

原色の衣装をまとった骸骨のマネキン

 第4日(2/6) 

タバスコ州考古学博物館    - [Slide]  [top]

タバスコ州の州都ビリャエルモサに 詩人であり考古学に造詣の深かったカルロス・ペリセル・カマラにより
1950年に作られたタバスコ博物館を前進とし,1980年に開設された。オルメカ文明が展示されている

ラ・ベンタ巨石頭

ジャガーの頭

モラル・レフォルマの石碑

パレンケ遺跡     [Slide] [top]

パレンケ王朝はAD431年バラム・クク王の即位に始まり、615年に12歳で即位したパカル王が68年間在位し、
戦いや交易により王朝を大繁栄させた。赤に彩色された華麗な宮殿やマヤ独特のレリーフが残されいる。


頭蓋骨の神殿から宮殿

碑文の神殿(ヒスイの面をつけたパカル王が発見された)

宮殿 繁栄期の面影を残す、華やかな赤い色が残っている。4重の塔が特徴


宮殿中庭 左の宮殿の柱に華やかな赤い色が残っている

マヤ人のレリーフ
  

葉の十字架の神殿から見た、十字架の神殿(右)、太陽の神殿(左)

北の広場から見たコンテ寺

宮殿と碑文の神殿の前の広場

 第5日(2/7) 

カラクムル遺跡    [Slide]  [top]

カラクムルは蛇を意味するカーンという王朝の首都で、現在は広大なジャングルの中に埋もれている。
繁栄は西暦500年代。当時、ユカタン半島南部で強力であった都市ティカル(グアテマラ)を562年に打ち破り、
約130年間栄華を誇ったが、ティカルに報復されて滅んだ。

広大なジャングルに埋もれた第1ピラミッド(奥)、第2ピラミッド(手前)

第2ピラミッド(神殿、祭壇が多数ある)

正面から見上げる第2ピラミッド

第2ピラミッドの階段

第2ピラミッドの前のステラ(風化したマヤ文字)

第2ピラミッド中腹の真白のステラ

第1ピラミッドのステラと急な階段

第1ピラミッドの祭壇と階段

 第6日(2/8) 

カンペチェ     [Slide] [top]

16世紀にスペイン人によって建設されたユカタン半島では最初の植民都市です。本国スペインと植民地を結ぶ貿易拠点として発展し、 カリブの海賊からの防御のために町の周りに要塞が築かれた。





カバー遺跡    [Slide]  [top]

カバーはプウク地方のウシュマルの姉妹都市であり、古典期マヤの都市が衰退し始めた750年ころから栄え始め、他の都市が崩壊した900年頃から人口が増え、その後1200年ころまで栄えた。

  遺跡入口の芝生の広場、左奥に宮殿、右がコズ・ポープ

コズ・ポープ前の基壇 手前に男根信仰の円柱がある.この基壇の地下貯水槽が造られていた

          

コズ・ポープの壁面を埋める雨の神チャーク

チャーク神拡大

強い手を持つ男


マヤアーチの門。

白い道(サクベ)の先20kmはウシュマル遺跡

 ウシュマル遺跡    [Slide]  [top]
ウシュマルは紀元500年から1100年にかけて建設された、後古典期(900年〜1500年)の古代都市。
ユカタン半島西部で強大な勢力を持つチチェンイツアと同盟を結びユカタン半島のほぼ全域を支配していた。
建造物の保存状態が極めて良く、マヤの壁面装飾であるプーク様式が遺されている。
魔法使いのピラミッド 高い山への信仰で山の神を祀る


王の世代交代で5回にわたり,増築された複雑な形態


急な階段の横に山の神(ウィッツ)が並ぶ。以前は雨の神との説

正面広場には男根が祀られている

尼僧院と儀式などが行われた広場

尼僧院に飾られた雨の神チャーク(プーク様式)

双頭の蛇と双頭のジャガー

華麗な尼僧院の彫刻(ヘビ、雨の神)

球戯場(復元されたボールを通すリング)

総督の館前の双頭のジャガー

総督の館から見た尼僧院など建物群と魔法使いのピラミッド(空もきれい)

 第7日(2/9) 
 
マヤ人の民家     [Slide]  [top]




チチェンイツァ遺跡    [Slide]  [top]

  カスティーヨ(メキシコで1番美しいピラミッド)

有名な蛇ククルカン

金星の墓壇と風化したチャクモール

金星の墓壇から見たカスティーヨ



セノーテ(聖なる泉)生贄や供物が投げ込まれた


チャクモール(かなり風化している)

鷲とジャガーの墓壇

カラコル(天文台)

イグレシアス(教会)

女僧院の東別館 壁面は雨の神チャークが一面に彫られている


セノーテ     [Slide]  [top]

レストランの下にあるセノーテ

蔦が多数たれ下がっている。


沢山の人が泳いでいる。丸い穴は深く地下でつながっている


一寸泳いでみる、不思議な体験


地下水脈のため水がきれいで魚も泳いでいる

 第8日(2/10) 

カンクン    [Slide]  [top]

ドルフィンビーチ

ホテル