エジプトの旅  アクセスカウンター
2010年12月2日~9日,クラブツーリズムのツアー
旅人/写真:岩田 穆,TD: 桶谷,ガイド:アーテフ


エジプト旅行の日程 
1日: 往路 (成田>カイロ)  [エジプト入国、カイロ空港]
2日: [アスワンハイダム] [イシス神殿]
 [サハラ砂漠] [アブシンベル神殿] [神殿の夜]
3日: アスワン [朝の神殿] [切りかけのオベリスク]
 [ファルーカ] [クルーズ船]
4日: ナイル下り [コム・オンボ神殿] [ナイル川]
 [ホルス神殿] [ガラベイヤパーティ]
5日: ルクソール [メムノンの巨像] [王家の谷]
 [ハトシェプスト葬祭殿] [カルナック神殿] [ルクソール神殿]
6日: カイロ,ギザ [ムハマドモスク] [ピラミッド]
 [スフィンクス] [メナハウス]
7日: カイロ市内 [考古学博物館] [ハン・ハリーリ]
8日: 帰路 (カイロ>成田)

情報:[チケット一覧] [エジプトの神と神話]

  第5日 メムノンの巨像,ハトシェプスト葬祭殿,ルクソール神殿,カルナック神殿


エスナの水門


ルクソールの南およそ60キロにナイル川最大の建造物エスナの水門がある。ここでナイル川が堰き止められ、6mの水位差を越える。上流側水門と下流側水門に挟まれた閘室の全長は160メートル。全幅は17メートル。上流から閘室に入ると、徐々に水が減っていき、下流と同じ水位になると開門、順番待ちで長時間待たされても、通過時間は約15分。閘室の幅に合わせて作られた、大型のクルーズ船がギリギリの状態で通過する。午前4時ごろの通過で暗いためダムの全貌は見えなかったが、船首に行って水門の開け閉めや水位の変化を実感した。 



閘室の中にいる前の船は下流の低い水位にいる。


下流側の水門を閉じて閘室中の注水して水位を上昇させる。


上流の水位に上がると手前の水門が開き、船は閘室に入る。

閘室を排水して水位が下がっている。水位が下流と揃うと水門が開き、船は進む。

  ルクソール



ルクソール地図

古代エジプトのファラオ:
[18王朝ファラオの系図] [19~20王朝ファラオの系図] (出典,http://www7a.biglobe.ne.jp/~santa2/keizu.htm)
[古代エジプトの全ファラオの一覧]

メムノンの巨像


新王国時代、アメンホテプ3世の命によって建てられたメムノンの巨像は、アメンホテプ3世自身の2体の巨像で、高さ2.3mの台座の上に、15.6mの像が置かれています。当初は、頭には王冠が載っており、また、座像の後ろには、アメンホテプ3世の葬祭殿がありました。しかし、葬祭殿は第19王朝ファラオ・メルエンプタハが自身の葬祭殿の石材調達のため破壊した。現在はその姿を見ることはできず、巨像のみが、宇宙人のような異様な風貌で畑の中に取り残されています。


メムノンの巨像


メムノンの巨像


メムノンの巨像(左)


メムノンの巨像(右)


メムノンの巨像の前で


メムノンの巨像の前で

王家の谷


王家の谷は、テーベ(現ルクソール)のナイル川西岸にある岩山の谷にある岩窟墓群のこと。古代エジプトの新王国時代の王たちの墓が集中してある。24の王墓を含む64の墓が発見されている。西の谷と東の谷があり、東の谷に60、西の谷に4の墓がある。
新王国時代以前の王の墓の多くが盗掘にあっていたことから、トトメス1世がはじめて自分の墓のありかを隠す目的でこの谷に岩窟墓を建設させた。その後の長い王家の谷の墓の多くも盗掘を受けたが、1922年に発掘されたツタンカーメン王の墓はのみ未盗掘で、副葬品の財宝が完全な形で発見された。


王家の谷 右手前:LV62 ツタンカーメン、その上:KV9 ラムセス5世、6世


王家の谷


王家の谷パノラマ


王墓マップ


王墓番号と王名

KV62 ツタンカーメンの王墓

ツタンカーメンの王墓入り口


ツタンカーメンの王墓入り口


ツタンカーメンの墓玄室


ツタンカーメンの墓玄室


ツタンカーメンのカルツーシュ

KV17 セティⅠの王墓

セティⅠの王墓入り口


セティⅠの王墓レリーフ


セティⅠの王墓レリーフ


オシリス神,セティⅠ,ホルス神


セティⅠとホルス神


セティⅠの王墓玄室


玄室天井


玄室天井拡大

KV11 ラムセスⅢの王墓

ラムセスⅢの王墓標識


ラムセスⅢの王墓レリーフ
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ラムセスⅢの王墓レリーフ


ラムセスⅢの王墓


ラムセスⅢの王墓


ラムセスⅢの王墓


ラムセスⅢの王墓


ラムセスⅢの王墓

KV6 ラムセスIX世の王墓

ラムセスⅨの王墓


ラムセスⅨの王墓配置図


ラムセスⅨの王墓


ラムセスⅨの王墓


ラムセスⅨの王墓


ラムセスⅨの王墓


ラムセスⅨの王墓


ラムセスⅨの王墓

ハトシェプスト葬祭殿


ハトシェプスト葬祭殿は「金と銀で細工された神の宮殿、その輝きで人々の顔を照らした」と言われた、テラス式の岩窟葬祭神殿。直線を主にした3階建の葬祭殿は、迫りくる岸壁に接して建てられた。ここルクソールのデイル・エル=バハリには、神殿が3ヶ所ある。向かって右(北)から順に、ハトシェプスト神殿、トトメス3世神殿、そしてネブヘペトラー・メンチュホテプ神殿であるが、ハトシェプスト神殿以外は未だ廃墟となっており復元されていない。 このハトシェプスト女王葬祭殿も発掘当初は廃墟であったが、1961年以降徐々に復元され、今日見るように、古代の輝かしい姿を取り戻した。
ハトシェプスト女王は、第18王朝のエジプト最初の女王(在位BC1473-1458)であった。 夫のトトメス2世との間に息子がいなかったので、トトメス2世は妾腹の子トトメス3世を次のファラオにせよと遺言したが、トトメス3世が6歳と幼かったため、ハトシェプスト女王が、その後見役として共同統治し、絶対的な権力を握ってファラオになった。 独自の考えで、エジプトを統治する野心に満ちていた.王が戦争により国を富ませるのが普通という時代に,戦争をしないで,船を造って海に出て,平等な貿易により,海外の物資・動植物を得て、エジプトを物資・文化両面で発展させた.
ハトシェプスト女王の死後、トトメス3世によって、ハトシェプスト女王葬祭殿の女王の名が破壊され、像が横取りされた経緯から、女王とトトメス3世との間の確執等色々な説が伝えられている。その後も、アメンヘテプ4世(アクエンアテン)時代に、その宗教観の相違からアメン神像が破壊され、また、第19王朝、特にラムセス2世の治世にも、第三柱廊のオシリスの像が打ち壊された。


葬祭殿遠望


葬祭殿第1テラス


葬祭殿第1テラス


ハトシェプスト女王像 男装しているが顔が優しい


第2テラスの王の立像


背後の岩壁


背後の岩壁


3000年前の乳香の木, プントから移植したが育たなかった


壁画 女王と海を渡って来た動植物


壁画 女王と海を渡って来た動植物


壁画 プントとから来た動物,鳥,魚,食物,飲物


金網で保護された壁画 コウノトリらしい




レリーフ


レリーフ


アメン神


ハトシェプスト女王


ホルス神


ハトホル女神の柱


ハトホル女神の柱


ハトホル女神の柱


ハトホル女神の柱 (Photo by Araki)


至聖所


至聖所前


第2テラスから東を見る

  カルナック神殿

カルナック神殿はアモン神(空気の神)をまつった神殿で、東西540m、南北600mの周壁で囲まれた壮大な神殿で、世界最大の神殿建造物といわれる。複合体の建造は、中王国時代(BC2055-1650年頃)のセンウセルト1世(BC1965-1920年頃)の統治中には始まり、プトレマイオス朝の時代(BC332-32年)まで2000年間位継続された。歴代のファラオが、威信を示ために多くの神殿を建造、寄進した。 中心部はアメン神殿


発見当時の砂に埋もれた神殿


神殿配置図


神殿の航空写真1


カルナック神殿


カルナック神殿


カルナック神殿 (列柱室の天井、2本のオベリスク)


神殿第1塔門


参道の牡羊スフィンクス


牡羊スフィンクス(左側)


牡羊スフィンクス(右側)


第1中庭の牡羊スフィンクス


第1中庭の牡羊スフィンクス


第2塔門


ラムセスII世像のある第2塔門(後ろは大列柱室)


ラムセスⅡ巨像の前で記念撮影


大列柱室


列柱室


大列柱室


大列柱室


大列柱室


大列柱室


トトメス1世のオベリスク


ハトシェプスト女王オベリスク

世界のオベリスク


ハトシェプスト女王オベリスク


大列柱室屋根裏のレリーフ


大列柱室屋根裏のレリーフ


大列柱屋根裏のレリーフ


大列柱屋根裏のレリーフ


列柱と2階の部屋


トメトスⅢ世祝祭殿


十字架に改造された像




修復中の神殿


聖池ほとりから神殿


聖池ほとりから二つのオベリスク


夕日の聖なる池


夕日の第9塔門


トトメスI世のオベリスク


ハトシェプスト女王のオベリスク(寝ている)


神殿


立像


列柱を見上げる


ラムセスⅡ


説明を聞くグループの皆さん


スカラベを廻る


金細工の買い物中

ルクソール神殿


ルクソール神殿はカルナック神殿の南2.5Kmにあり、アメン神の妻ムート神を祀った神殿である。この祭は、毎年、ナイルの増水期に行われるアメン神と妻ムト女神の結婚の祭礼 オベトの祭礼を行うためのもの。 神殿は中王国時代に小さなものがあったが、新王国時代にアメンへテプ3世が塔門や列柱室などを奉献し、更にラメセス2世が第一塔門や中庭等を奉献し、現在の形ができた。ルクソール神殿正面の入口両脇にラムセスII世の巨大な大理石坐像と左側に高さ25mの巨大なオベリスクがある。右側のオベリスクはムハンマド・アリが1833年にフランス国王ルイ・フィリップに贈ってしまい、現在はパリのコンコルド広場に立っている。


ルクソール神殿入り口


ルクソール神殿正面


神殿入り口


ルクソール神殿正面のオベリスク

ラムセスⅡ首

ラムセスⅡ立像




王と王妃座像

王と王妃座像の前で


列柱室


列柱室


列柱


レリーフ

レリーフ


奧の礼拝堂

至聖所付近


モスク


第6日へ続く