エジプトの旅  アクセスカウンター
2010年12月2日~9日,クラツーのツアー
旅人/写真:岩田,TD: 桶谷,ガイド:アーテフ


エジプト旅行の日程 
1日: 往路 (成田>カイロ)  [エジプト入国、カイロ空港]
2日: [アスワンハイダム] [イシス神殿]
 [サハラ砂漠] [アブシンベル神殿] [神殿の夜]
3日: アスワン [朝の神殿] [切りかけのオベリスク]
 [ファルーカ] [クルーズ船]
4日: ナイル下り [コム・オンボ神殿] [ナイル川]
 [ホルス神殿] [ガラベイヤパーティ]
5日: ルクソール [メムノンの巨像] [王家の谷]
 [ハトシェプスト葬祭殿] [カルナック神殿] [ルクソール神殿]
6日: カイロ,ギザ [ムハマドモスク] [ピラミッド]
 [スフィンクス] [メナハウス]
7日: カイロ市内 [考古学博物館] [ハン・ハリーリ]
8日: 帰路 (カイロ>成田)

情報:[チケット一覧] [エジプトの神と神話]

  第6日 ムハマド・アリ・モスク, ギザのピラミッド, スフィンクス, メナハウス



カイロの朝 


カイロの朝 

ムハマド・アリ・モスク


ムハマド・アリ・モスクは1824年、ムハマド・アリ(1769?-1849年没)が建築を始め、1857年息子のサイード・バシャによって完成。イスタンブールのブルーモスクを模したオスマン様式で、高さ52mの巨大なドームに高さ84mの2本のミナレットが天を突く圧倒的な存在感で、カイロのランドマークになっている。外壁にアラバスターを使用したため、「アラバスター モスク」とも呼ばれている。 ムハマド・アリは、オスマン帝国(イスタンブールを首都として一大帝国を築いたが、1922年滅亡)の属州だったエジプトの支配者で、半独立政権を樹立し、専制支配のもとで富国強兵政策をとり、近大エジプトの基礎を築いた人物。



モスク全景


モスク正面


ドームとミナレット


ムハンマド・アリ


中庭から泉亭とドーム


泉亭


泉亭


泉亭の説明を受ける

時計塔
中庭にある塔には、フランスから贈られた時計が据え付けられています。この時計はムハンマド・アリが、ルクソール神殿にあったラメセス2世の2本のオベリスクのうち1本をフランスに贈り、そのお礼にもらったものです。そのオベリスクは現在もパリのコンコルド広場の象徴的存在になっています。



時計塔


時計塔

モスク内部
ドームの内部は天井から下がる多数のライトが輝き、その光が楕円形に並んでいて、非常にきれいです。イスラム教では、偶像崇拝が禁止されているので、神の像や宗教画は全くありませんが、ドームの天井は細かく美しい幾何学模様で飾られています。



ドームの天蓋


天井のランプ


天井のランプ


ドーム天井


ドーム天井

モスクには、必ずメッカの方向に向けてミフラーブと呼ばれる、壁のくぼみがあります。扉のついた階段の上壇にある玉座は、ミンバルと言い、イスラムの指導者が説教を行うときに使われるものです。


ミフラーブ(礼拝する壁のくぼみ)とミンバル(説教壇)


ミフラーブ(メッカに向く)


ドーム見学の子供達


子供達に囲まれたKさん


ドーム見学の子供達


ドーム見学の少女達


ドーム見学の少女達


ドーム見学の少女達


ドームとミナレット


モスク帰り道


カイロの街とピラミッド遠望


カイロの街(カイロタワー)


スルタン・ハサンモスク,リファーイモスク

ギザのピラミッド


ギザの大ピラミッドは、エジプト第4王朝のファラオ、クフ王の墳墓として紀元前2560年頃に20年前後かけて建築され,ピラミッド建築の頂点とされる。現在の高さ138.74m(もとの高さ146.59m)、底辺230.37m、勾配51度50分40、容積約235.2万m3で、平均2.5tの石灰岩を約270万-280万個積み上げたと計算される。王の間上部には、重量軽減の間と呼ばれる空間があり、19世紀にイギリス人ハワード・ヴァイスが発見した。最上部にはクフ王の名前が残されている。


動画:ギザのピラミッド


  ドローンを使って登り、上から見た映像 (NHKBS放送から)

クフ王のピラミッド



クフ王のピラミッド


クフ王ピラミッドの入り口 下の穴から内部に入る


クフ王のピラミッドとカフラー王のピラミッド


クフ王のピラミッド 石の大きさと急勾配を実感


大回廊


王の間の石棺


王の間の天井の巨石

  動画:クフ王のピラミッドの内部に入る




内部を見た後、入り口付近でグループの皆さん


クフ王ピラミッド入り口付近で


クフ王ピラミッド入り口付近で


クフ王ピラミッド入り口付近で

ギザの三大ピラミッドを一望


ギザの三大ピラミッドが建造された時代は「エジプト古王国時代(第3-第6王朝)」であり、この時代のピラミッドは、規模・技術ともに最高水準を示すことから、別名で「ピラミッド時代」ともいわれる。


左から、クフ王のピラミッド、カウラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッド
 手前は宿泊したホテルメナ・ハウス・オベロイ


左から、クフ王のピラミッド、カウラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッド


奥から、クフ王のピラミッド、カウラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッド


メンカフラー王のピラミッド


クフ王ピラミッドと舟坑


王妃達のピラミッド


カフラー王のピラミッド


メンカウラー王のピラミッド


ギザの三大ピラミッド (photo by Araki)


ギザの三大ピラミッド (photo by Araki)


三大ピラミッドの前で


クフ王のピラミッドと王妃達のピラミッド


ラクダに乗る


ラクダに乗る


ラクダはおとなしい


Oさん,Iさん,Sさん


HさんとOさん


SさんとSさん


Sさん


Uさん




Uさん,穆

ギザの大スフィンクス


ギザの大スフィンクス(Great Sphinx of Giza)は、古代エジプトの古王国時代に作られた巨大な石像である。全長73.5m、全高20m、全幅6mで、一枚岩からの彫り出しとしては世界最大の像である。 ちなみに、頭の部分だけ、別の場所から運ばれてきた硬質石灰岩で造られており、完全な一枚岩ではない。
大スフィンクスは「西方(冥界の入口)の守護者」として歴代の王に信仰された。アビュドスにあるエジプト初期王朝時代第1王朝のアハ王の地下墳墓の傍に、他数の殉死死体とともに、権力の象徴であるライオンの埋葬も発掘からわかっている。この風習が、ピラミッドの傍に人間の頭とライオンの胴体とを合わせ持つスフィンクス建造につながるとも考えられている。一説には、スフィンクスはホルス神の数ある姿の一つともされる。


スフィンクスとカフラー王のピラミッド(参道でつながっている)


スフィンクスとメンカウラーのピラミッド


スフィンクスとメンカウラーのピラミッド


スフィンクスとギザ大ピラミッド (通常は足下には行けない)


スフィンクスの顔(最初は顎髭があったが今は破損、ものたりない感じ)


スフィンクスの前で


スフィンクスのおしりとクフ王のピラミッド


スフィンクスのお尻から顔


スフィンクス神殿


スフィンクスとカウラー王ピラミッドに向かう参道


スフィンクスとピラミッド参道


スフィンクス広場から絶景 スフィンクスと三大ピラミッド(メンカフラー王、カウラー王、クフ王)



メナハウスオベロイ


ギザ大ピラミッドの直近に位置する王の宮殿を改造して、1869年に創業した由緒あるホテル。世界のVIPや俳優らも宿泊客として名を連ねる。今はMarriott Mena House, Cairo となっている。 ホテルのホームページ


ホテルとピラミッド(ホテルホームページから)


プール(ホテルホームページから)


ピラミッドとホテルへの道1869


プレジデンシャルスイート1920


クフ王ピラミッドとメナハウス1930


三大ピラミッドとメナハウス1940


ホテルの写真


ホテル内地図


ホテル内地図


シャンデリア



クフ王のピラミッド(夕刻部屋から)


クフ王のピラミッド(夜部屋から)


クフ王のピラミッド(夜部屋から)


  7日へ続く